再び養老孟司です。
飽きもせず、見つけては買ってきて読んでいます。
昨日の会社帰りの電車の中でこの本を読んでいたら、後ろで女の子たちのグループが別れ際に、
「気をつけてね」
と言っているのが聞こえたので、僕は
「事故に会ったりして死なないようにね」
という意味を頭の中で補完しました。
冗談とかでなく、ごく自然に、まじめに、本気で。
そう考えた直後、言った女の子がどんな言葉を付け加えたかと言うと、
「寝過ごさないようにね」
あ~、そう。
そうね、それが一般常識的な考え方なのね。
別れたら、もう二度と会えない可能性が(0.001%でも)あるということは、普段意識していない人はまったく考慮していないのでしょう。
この女の子みたく。
まぁ、僕だって頭では明日死ぬ可能性がゼロではないと常々思ってはいるのだけれど、それだと生きていくのに都合が悪いので、とりあえずそれはそれとして脇に置いておいて、数ヶ月先のスケジュールとかもたてるわけです。
これを養老孟司のように、「半年後にまだ生きていたら伺います」なんて言っても、たいていの人は冗談だと思うだけの話になる。
もっと言えば、今日の自分は今日与えられた分の責任を果たしておけば、あとは明日の自分に任せればいい、なんて考え方もあまり一般的ではないんでしょうね。
この考え方を採用すると、だいぶ気が楽になって楽天的になれるのでいいと思うのですが。
養老孟司によれば、「昨日の自分も今日の自分も明日の自分もおんなじ自分だ」と思うのは脳の機能なんですって。
そうしないと社会生活に支障が出る。
そういえば、中田英寿が引退したときに「自分探しの旅に出る」なんて言ったとか聞いたときにはちょっとがっかりしてしまいました。
そんなことは言わない人だと思っていたんですがね。
自分なんてわざわざ旅に出て探さなくったって、嫌でもここにいるんだし。
念のため断っておきますが、僕が旅に出るのは「自分探し」なんてバカげた動機じゃないですよ。
旅に出る前と帰ってきた後の「変化」が楽しくって行ってるだけです。
「昨日の自分」と「今日の自分」と「明日の自分」が同じだなんて、これほどつまらないことはないと思うのですがどうでしょう?












