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「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である

ひとりでいることが惨めだとか、ひとりでいるのは寂しいとか、そういう風に思う人が意外に多いのだということに、少し驚く。
僕自身はひとりでいる時間が好きだし、四六時中誰かと一緒にいるなんていうのは、鬱陶しくてたまらないと思うタイプの人間だから。

「ひとり」ということを否定的に感じる人達にとって、この本のタイトルは理解しにくいかもしれない。
誰かと一緒にいる方が生存に有利に決まっているじゃないかと。
確かに、「人間」という生物種、動物として考えると、非力で群れを作らなければ生き残れなかっただろうことはわかる。
群れを作り、幻想を共有し、社会を作り上げたことで、人間という種がこれだけ繁栄してきたことにも同意する。
でも、問題はその社会に生きる個人として、この社会を生存していくために、常に群れていることが生存戦略として正しいのかどうか?
ということなのだ。

最近、「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」を読み終わったのだけど、ここに面白いことが書いてあった。

種としての繁栄、つまり遺伝子レベルの繁栄と、個体レベルの幸福とは必ずしも合致しない

サピエンスという種は地球上でこれだけの繁栄を謳歌しているけれど、その繁栄と個人の幸福とは関係がないということなのだけど、話が脱線するのでこの話はまたの機会に。

で、この本の主張は、個人としての幸福を追求する上で、「ひとりぼっち」の時間を正しく持つこと、ソロタイムが大事だということです。

私たちを疲弊させているものは何か?

著者の名越康文さんは精神科医で、様々な患者さんをみてきた上で、このように結論づけます。

私たちを疲弊させるのは、察してもらえるような空気を作り、正しく空気を読み、阿吽の呼吸でやり取りする。
こんな高度なコミミュケーションを「当たり前」のように要求され続ける社会、これが私たちを疲弊させている。

日本の社会で生きていると、どこにいても「空気を読む」ことを要求され、場の空気から外れたことをすれば「KY」と非難され、つまはじきにされる。
この息苦しい「空気」とは何なのか?
鴻上尚史さんは『「空気」と「世間」』という本の中で、
「空気」とは中途半端に壊れた「世間」である、と分析しています。
この辺のことは話し始めると長くなるので、また別の機会に書こうと思います。

それからもう一つ、私たちを疲弊させるもの、それは「心の中の他人」です。
対人関係の悩みの多くは、現実の誰かというより、心の中に住んでいる他人との会話がもたらす感情によるものだと言います。

「あの人は自分のことをどう思っているんだろう?」
「なぜあの人はあんなことを言うんだろう? きっと自分のことが嫌いに違いない」
「どうやったらあの人に認めてもらえるんだろう?」

こんな風に、自分の心の中に作り上げた他人との不毛な会話に怒ったり、悲しんだり、不安になったり。
そうしている時、物理的には一人でいたとしても、それは自分のための時間ではないんです。
身近な人との人間関係を維持するために、人生のほとんどの時間とエネルギーを使ってしまっている。
それでは日常の生活だけで疲弊するのも無理はありません。

ソーシャルタイムとソロタイム

他人や群れの期待に応えるため予定でスケジュールが全て埋まっていたりしませんか?
スケジュール帳を見たときに、これは純粋に自分のためだけの予定だと、言い切れるものがどれだけありますか?
他人のための予定でびっしりの人生が、果たして自分の人生だと言えるのでしょうか?

だからこそ、自分自身の人生を取り戻す、生存戦略として「ひとりぼっちの時間 = ソロタイム」が重要になってくるのです。

最近、「モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには」という本を読んだのですが、興味深い考え方が書いてありました。
それは、ミニマムライフコストという考え方です。

ミニマムライフコストとは、自分が生活していく上で、最低限満足できる生活を維持していくのにかかる金額のことです。
最低限これだけの収入があれば、健康的で満足のいく生活を維持できるという具体的な金額がわかっていれば、仮に何かやりたいことにチャレンジして失敗したとしても大丈夫だという自信の根拠を持つことができる。
例えば、月に15万円もあれば生きていけるとなれば、コンビニのバイトでも見つけられればなんとかなる。
そう考えれば、失敗を極端に恐れることなく、気楽にやりたいことにチャレンジができるわけです。

ミニマムライフコストは、お金というものから自由になるための考え方です。

人間関係も同じ考え方が適用できるのではないかな、と思うんです。
人間関係の最小単位、ひとりになることに恐れがなくなれば、他人との関係が切れたり、群れから追い出されたりすることを極端に恐れることもなくなるのではないでしょうか?
この本にも、前出の「サピエンス全史」にも書かれていますが、全ての人間関係や群れの概念は幻想なんです。
国や会社や学校などという概念はもちろん、家族や友達や恋人といったものも、全て幻想です。

サピエンスという種は幻想を共有する能力を身につけたことによって、これだけの繁栄を遂げました。
が、個人の人生と幸福という観点から見たとき、この幻想にとらわれすぎることで、自分の人生に虚無感を感じることになっていませんか?
ということなのです。

自分の人生を生きるために

「寂しい」「虚しい」「疲れた」と感じたときに、友達や恋人や家族に癒してもらおう、満たしてもらおうと思うのはもうやめましょう。
群れの中で感じた虚しさや疲れを、群れの中で回復するのは結局悪循環です。

群れの内側で失われた人生の活力は、群の外で充電する。これは自分の人生を充実したものにしていくためには、鉄則と言っていいほど、大切な原則です。

ソロタイムを過ごすための具体的なメソッドは本に詳しく書いてあります。
また、ソロタイムを過ごすことによって得られる効用も詳しく書かれてあります。
カフェで静かに読書するもよし、瞑想して見るもよし、広々した公園を散歩するもよし、軽い山歩きなど自然の中へ出かけるのもいいでしょう。
お金と時間があるなら、思い切ってひとり旅に出るのもいい方法だと思います。

ひとり旅、できない人多いんですよね。意外に。
寂しいから無理って、どうして?って思います。
自分を知っている人が誰もいない、知らない土地を、誰の目を気にすることもなく、同行者に合わせる必要もなく、自由にいられる、愉しみ。
自由と解放感、最高なのに!

よりよい人生を送るために、よい人間関係を作り、保っていくことは大事です。
それを否定するものではありません。
でも、人間関係は人生の目的ではありません
人間関係のために自分の人生を過ごせないとしたら、それは本末転倒です。

群れの期待やルール、価値観に縛られすぎて、自分のために生きられていないと感じたら、まず一旦群れから離れてみよう。
自分のためだけのひとりぼっちの時間、「ソロタイム」を一日30分からでもいいので、作ってみよう。
そうして、自分と他人を見つめなおしてみれば、充実した自分のための人生を取り戻せるはずだ。